ブランジェ浅野屋90周年。歴代の人気パンとともに、その歩みを振り返る
1933年創業、軽井沢を代表する老舗ベーカリー「ブランジェ浅野屋」が今年10月に90周年を迎えます。
店舗を拡大しながら常に新しい挑戦を続けてきた同ベーカリーの歩みと、長く愛されてきた個性豊かな商品たち、そしてこれからについてを、株式会社浅野屋 取締役開発部長であり、長年全粒粉商品の開発に携わってきたブーランジェ 平 和生さん、マーケティング部部長 齋藤綾子さんにうかがいました。
はじまりは食料品店「浅野屋商店」
──浅野屋さんは、もともとパンではなく商店だったとうかがいました。
齋藤さん はい。1933年(昭和8年)に、創業者の浅野良明が東京・麹町6丁目に浅野屋商店を開業しました。当時の麹町は各国の大使館の多いエリアで、外交官の方々に向けて外国のパン、バター、チーズなどの食料品を扱っていました。1935年には、山中湖に夏季出張店を構え、避暑に訪れた方に向けて販売を行っていました。軽井沢には、1944年に夏季出張所店を開きました。
──そのときはまだ、パンの製造は行っていなかったんですね。
齋藤さん 1942年からになります。ドイツ人とイタリア人のパン職人を雇い、パンの製造が始まりました。前年から太平洋戦争が始まり、時代は食糧難でしたので、パンは貴重だったのではないでしょうか。戦争の影響で、軽井沢の店舗は外務省委託による在日大使館および外国人の食料配給所に指定されていました。軽井沢旧道本店には、配給所だったころの看板が今でも設置されています。
食事を楽しむ手段としてのパン
──以前、オンラインイベントでも看板を拝見しました。その当時は、パンだけのお店だったんですか?
齋藤さん メインはパンですが、ジャムなども販売されていましたね。終戦後は売る商品もなく、2〜3年後に店を再開すると、レストランの経営が始まり、店舗を増やすことができるようになりました。
平さん 軽井沢店ではカジュアルレストランや本格的なフレンチ、東京の四ツ谷ではイタリアンレストランを展開していました(※)。レストランを展開した理由は、「パンの食べ方を提案するため」と先輩から聞いています。いわゆるパン食べ放題のレストラン──ウェイターが各テーブルに「パンのおかわりはいかがですか」とまわるようなスタイルは、当社が先駆けだったと思います。
※現在、レストランの営業は行われていないが、軽井沢旧道本店のイートインスペースではレストランメニューが提供されている。
齋藤さん 先代は、「料理がメインなのであって、パンはあくまでも脇役」なのだとよく仰っていたそうです。社内のベテランの職人たちは、今でもその考えを大事にしています。
日本初の石窯を導入
──なるほど。浅野屋さんといえばお食事パンのイメージが強かったのですが、理由がわかり納得です。
齋藤さん 1979年には、二代目が「ブランジェ浅野屋」を立ち上げます。フランス・パリで石窯で焼いたパンに出合い、1986年に日本で初めて石窯を導入することになりました。
平さん 石窯のあるパン屋さんは今では国内にたくさんあるのですが、当時は先駆け的な存在でした。ハンドルを回すと、焼き床がぐるぐると回転するようなスペイン製の窯です。じつは私も他店の建設に関わっています。
──えっ!平さんが建てられたのですか。
平さん 軽井沢旧道本店の石窯はスペイン人の方が来日して建設したと聞いています。その後「同じ窯をうちも設置したい」という要望があって、北海道や広島などあらゆるところに7〜8件、スペイン人の方とレンガにモルタルをつけて組み立てていきました。当時は「日本でハード系のパンを作っても失敗するだけ」と製粉会社などに反対されていたようですが、それを押しのけてやってみた結果、成功だったと思います。
齋藤さん 当時の窯は、今でも軽井沢旧道本店にありますし、現役なんですよ。旧道本店の常連のお客様には海外の方が多くて、本場の味を知っているみなさんも、バゲットやハード系のパンなどを「とにかくおいしい」と言ってくださっているんです。
平さん 石窯は薪を熱源にしています。蓄熱がすごいので、つねに250度くらいをキープしていて、営業時間が終わってもまったく温度が下がらないんです。それだけの熱と遠赤外線効果があるので、ハード系のパンがとてもいい状態で焼けますね。
──石窯だけでもすごいのですが、浅野屋さんは天然酵母のパンづくりにも積極的ですよね。
天然酵母で作った生地を石窯で焼くというのも、当時はなかなか珍しかったです。私が浅野屋に入社したての30年前でも、「一風変わったことをやっているパン屋さんだな」と思っていました。工場こそ大きいですが、行っているパンづくりは手づくりの延長線なんです。手づくりのパンのおいしさをお届けできていると思います。
伝統を守りながら拡大していく
──その後、2000年に松屋銀座店、2006年には自由が丘店がオープンするなど、東京への進出が増えました。
齋藤さん お客様も増えてきて、出店のお声がけをいただくことが増えました。東京駅、上野、西荻窪など、2010年あたりから1年に1店舗のペースで、店舗が増えていきました。
平さん 軽井沢千住博美術館内にオープンしたり、シンガポールに出店したりと、いろいろなタイミングとご縁がありました。2021年には、東京の製造拠点となるベイクファクトリーを板橋に設立しています。
齋藤さん ベイクファクトリーはパンの製造を行うための場所ですが、お客さんに向けて店頭販売も行っています。前日売り切れなかったパンをお得な価格で販売しているので、日によってはすぐに売り切れてしまうこともあるんです。
──それはお得ですね。ベイクファクトリーは、従来の工場とは何が違うんですか?
齋藤さん 「真空冷却機」という設備を新たに導入しました。これはパンを冷凍する機械ではなく、熱々のパンの温度を短時間で下げることができる機械です。パンは冷める間においしさも逃げていってしまうのですが、この機械があると、長くおいしさを保つことができます。この機械で冷却したパンとそうでないパンでは、ふんわり具合や、おいしさが全然違いますよ。
平さん 100度くらいあるパンの芯温を20度くらいまで下げるとなると、かなり時間がかかってしまいます。この機械は、パンの気圧を落として沸点を下げて、気化熱で急速に冷やすことができます。「真空冷却機」で冷却したパンは見た目もよく、食べたときのクラストの歯切れのよさも格段に違うんです。軽井沢レザン、クロワッサン、フランスパンなど、表面をパリッとさせたい商品に使用しています。
齋藤さん 石窯のような古き良きものを守りつつ、真空冷却機のような新しい技術も取り入れています。
90周年記念商品は、全粒粉にこだわった一品
──伝統も新しさも守り続けてきたのはとてもすごいことです。90周年に向けてはどのような取り組みをされていますか。
齋藤さん 次の世代に向けた定番を作りたいと「信州小麦と果実の恵み」という商品を開発しました。
平さん 浅野屋では以前より、自家製粉で全粒粉が挽ける機械を食品総合研究所と共同で開発しています。小麦の種類にあわせて臼の設計を変えたり、小麦の生産者さんにも品種改良のご協力をいただくなど、共同開発だからこそいろいろな工夫を行ってきました。「信州小麦と果実の恵み」も、そうした全粒粉を100%使ったパンなんです。
平さん 生地は、長野県産の「ゆめかおり」の全粒粉を挽きだめをせずすぐに使い、塩とイーストと水だけでこねています。素朴ながらも味が引き立つようなパンにしたかったので、砂糖も油脂も卵も入れずに、小麦の力をダイレクトに表現しました。挽きたてならではの小麦の甘さも閉じ込めています。フィリングは、信州産のセミドライりんごとくるみとカレンツを練り込みました。
90周年記念商品「信州小麦と果実の恵み」(10/1~31 期間・数量限定発売)
──シンプルで、ぎゅっとうまみが詰まっていて、とてもおいしいです。全粒粉はパン好きさんの中でも好き嫌いが分かれると思いますが、浅野屋さんの全粒粉パンはとても食べやすいと思いました。
平さん 味わいも香りも深く、くせがないので、おいしく食べられると思います。製粉機は、抹茶の石臼の原理で作っているんですけど、1時間に1kg挽けるかくらいの量しか挽けないんです。手間がかかるぶん粒度は細かくて、歯に当たらないし、全粒粉特有のくさみも感じにくいです。
──発売が楽しみです。最後に、浅野屋さんの今後について教えてください。
平さん お客様に健やかに過ごしてもらいたい思いがありますので、今後も全粒粉のような健康によい素材を活用していきたいです。いくら健康によいといっても、おいしくなければ継続しないと思うんです。毎日食べておいしい飽きないパンを、今後も提供していきたいです。自分たちが本当においしいと思える、こだわりがあるものを妥協せずにお届けしていきたいと思います。
齋藤さん 9月から毎年おなじみのアップルパイリレーがスタートしていますし、創業月となる10月には、軽井沢で作ったパンを東京でも販売する試みを行います。11月はシュトレンの販売もあり、今年はほうじ茶と栗を使った新しいシュトレンの販売も予定しておりますので、ぜひおためしください。
ふだんのお食事パンとしてはもちろん、避暑地で過ごす特別な日の食事まで──。あらゆる人々に寄り添い、愛されて続けてきたパンの裏側がよくわかるお話でした。次の100年に向けて、こだわりを守り、新しいものを生み出し続けていくブランジェ浅野屋に、今後も注目です。
■ブランジェ浅野屋
- ECサイト
- https://b-asanoya.com/